2011-02-11

個人の祈り

今日は、毎週日曜日に発行している<日々の想い>をご紹介します。
*<日々の想い>は、城之橋教会の何代か前の牧師が始めた、教会のコラムです。真面目なものから日常の何気ない出来事や趣味の話まで、幅広く書いています。
今回は、少し真面目なものを持ってきました♪

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私たちは一日の中で、どれだけ個人の祈りの時を持っているのでしょうか?
誰にも邪魔されず、個人と神との対話の時間をとっているかによって、その日の心の具合が大きく変わってきます。
昔、忙しくて祈ることを忘れていた事がありました。
忙しいと言っても、教会の行事や、神学論文の作成、聖歌隊の指導などです。
いつも頭の中は、教会のことや神さまのこと、礼拝のことでいっぱいでした。
傍から見れば、とても教会的な人だったかもしれません。しかし、気が付けば、いつも眉間にしわがよっていました。
そして徐々に、心も、働き自体も、つぎ込んだ時間に反比例するかのように乏しくなっていました。


神の言葉を聞いて祈る時、神のまなざしに気がつきます。
今日一日、神の前でどのように過ごすのか?
その思いが出てくる時、その日一日の時間の使い方や心の持ち方が変わってきます。
そのように言っていると、多くの方から、
 「日々の忙しさの中で、そんな時間なんてとれない!」と、よく聞きます。
しかし、そもそもそのような質問が出てくる時、私たちの中にはもうすでに、
「そのような時を持ちたくない」
という思いがあるのではないでしょうか。
神との交わりは、持ちたいという思いがあれば、いくらでも持てます。どんな工夫もできます。
 電車の中でも、トイレの中でも、どこにいても、「主よ」という呼びかけだけで、もうその場は、神との自分との聖壇となるのです。
共に祈りつつ、聖なる者へと変えられていく時を歩みましょう。



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幼稚園の子ども達のお祈りって、心に沁みるんですよね。
「神さま、休みしている○○ちゃんを守ってください。」って。
この子ども達のように、純粋なお祈りができるように願いたいものです。


Urakami





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